第一章 ※終了しました
円/線
2017.12.15[金]―2018.1.10[水]

たちの周囲を改めて見つめなおすと、ほとんどすべてのものが円と線で形作られているということがわかる。一見対立しているように見える円と線、その境目は明確ではない。円は線であり、線は円とも成り得る。二つの図形の差異は人間の認識によるものであろう。仙厓の《円相図》(複製)と内田恵太郎農学博士による科学描画、伊藤研之の《海辺》が私たちに問いかける。円と見るか、線と見るか。

仙厓 《円相図》

仙厓 《円相図》(複製) 昭和初期

仙厓 《円相図》(複製)

は、その形の完全性から真理や仏性、宇宙の象徴と喩えられ、禅宗でも悟りの境地を表すものとして画題に取り上げられてきた。江戸後期の禅僧で機知に富んだ画を描いた仙厓(1750-1837)の《円相図》もその一つであり、仙厓作品の収集で知られた中山森彦博士の旧蔵品である。展示品は、中山博士が研究資料として作成した複製画である。賛文には「(こ)れ食ふて茶のむされ」とあり、なんとこの円を饅頭に見立てている。苦労して会得した悟りにも拘泥しないその姿勢は、全の本質を捉えた作品と言えるのかもしれない。

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  内田恵太郎 《マサバの卵から稚魚まで》

内田恵太郎 《マサバの卵から稚魚まで》

帝国大学農学部水産学科を卒業した内田恵太郎(1896-1982)博士が九州帝国大学に着任する1942年以前の1935年に、マサバの成長過程を図と鉛筆によるメモとともに記録した研究記録である。この作品は、科学の写実が明暗法を捨て、円と線だけで生命の構造を描き、世界を認識していることを伝えている。円と線は宇宙、世界という精神性の表現だけではなく、生命の変化の写実的な表現でもある。

伊藤研之《海辺》

伊藤研之 《海辺》 1952年

伊藤研之 《海辺》

藤研之(1907-1978)は九州芸術大学設立委員や福岡文化連盟理事長を務め、戦後福岡の洋画壇の指導的立場にあった洋画家。1957年から15年間、九州大学工学部建築学科の非常勤講師も務めた。人物や風景は単純化されており、二人の人物の輪郭や水平線の中に、日常生活では意識されない線や円を改めて認識することができる。海辺を歩く二人を描いたこの作品には、遠い過去の記憶を思い出しているときのような穏やかな郷愁が漂っている。